やすら樹 NO.81

医療と内観 ―第15回―

    親の意見と茄子の花

 子供も好きで、NHKの大河ドラマ「武蔵MUSASHI」を毎週日曜日に見ています。このドラマは、吉川英治の長編小説「宮本武蔵」を原作にしたものです。主演の市川新之助が演じる宮本武蔵は「強くなりたい」を連発し、私にはそれが少し耳障りになりますが、今という時代が失われた強さを求めているのだと勝手に解釈をしながら結構楽しんでいます。そう、「バガボンド」は「宮本武蔵」をベースにマンガ化され三千万部以上の大ヒットを飛ばしていると報じられていました。NHKの力、それとも武蔵の生き方に人が共鳴するのでしょうか。


 さて、今回取り上げた「我事において後悔せず」がドラマの中で武蔵によって語られました。私には、その時とても魅力的で引きつける言葉として響きました。ややもすると自らの行動に対して後悔したり、しそうになる自分。後悔しても何も解決しないと自らに言い聞かせ、後悔しないようにしている自分をテレビの中で見つけたのかもしれません。しかし、武蔵は本当に後悔しないで人生を生きたのでしょうか。


 この言葉は、「独行道」の中に見いだすことができます。武蔵は、形見分けとして晩年の高弟、寺尾兄弟の兄に兵法の極意をまとめた「五輪書」を、弟に絶筆となった「独行道」を授けました。この「独行道」には、自戒を込めた二十一カ条が書かれ、最初に「世々の道をそむく事なし」から始まり、第六カ条に有名な「我事において後悔せず」や第十カ条に「れんぼの道思ひよるこころなし」を認めます。読んでみると、語尾が何々なし等が多いが、武蔵は女性に恋い慕うことが無かったとは思われません。どうも六十数年を生きた人生を振り返り、私の人生は二十一カ条のように努めてきたというのが本当で、武蔵の希求の言葉と思えたのです。


 吉川英治は『随筆宮本武蔵』の中で、「武蔵が人に訓えるために記したものでなく、彼が自己へ向って反省の鏡とするために書いた座右の誡であった。----------我事に於て後悔せずを書いているのは、彼がいかにかつては悔いまた悔いては日々悔いを重ねてきたかをことばの裏に語っている」と述べています。人間武蔵が親しみを持って私達に近づいてきます。


 さて、精神科の医師として治療に従事していますと、神経症やうつ病の患者さんから発せられる「後悔」に多く遭遇します。Aさんは、大手の企業に勤め東京本社でも有能な一人として自他ともに認められる存在でした。昨年、親が年を取ったことを契機に、郷里でも自分を生かせるはずだと考え、周囲の反対を押し切り富山支社に転勤しました。ところが子供の転校が難しく家族は東京、新しい職場の仕事や環境も予想と違っていました。そんな中で、「どうして将来を棒に振るような判断をしたのだろうか」と後悔にさいなまれる毎日が続きました。不眠や食欲不振と共に、今まで簡単にできた仕事も難しく、抑うつ的で自殺も考えるようになり来院となりました。


 Aさんのように心の病になる方は、人生を歩くことに例えますと、足下や歩く先をほとんど見ることなく、後ろばかり見て歩く人が多いと思います。当然、そんな歩き方なので転倒する機会が増えます。内観をした方には、Aさんのように後悔する人は少ないと思います。それは、後ろの振り返えり方に違いがあり、目的を持って立ち止まって振り返り、今まで歩いてきた道のりをきちんと頭に入れ、前を見ながら地についた歩みをするからだと思います。


 最後に、「我事において後悔せず」の言葉を胸に秘め、反省はしても後悔しないような日々の生活を送りたいものです。