やすら樹 NO.70

医療と内観 ―第4回―

 知足(ちそく)

 最近、老年期を楽しんだ達人としての貝原益軒が、ちょっとしたブームを呼び起こしています。益軒は、新規な開墾が底をつき田畑の増加が認められなくなった元禄時代に活躍した人です。彼は、「養生訓」という作品の中で、低成長時代にマッチした生き方を著し、大衆に受け入れられたのです。この益軒ブームの理由は、低成長時代に入った現代が、歴史にその解決策を求める為なのでしょうか。私が、その益軒の作品の中に、今回お話しする知足(ちそく)という言葉を見つけた時、何かしら新鮮に思え、みなさんに伝えたい衝動に駆られたのです。


 その一文は、益軒が「養生訓」を世に出す三年前に「楽訓」という書物を著し、その中で真の楽しみとは何かを説いている中にあります。一部を紹介しますと「わが身の足る事をしりて、分をやすんずる人まれなり。これ分外(ぶんがい)をねがふによりて楽(たのしみ)を失へり。知足の理(ことわり)をよく思ひてつねに忘るべからず。足る事をしれば貧賤にしても楽しむ。足る事をしらざれば富貴をきはむれども、猶(なお)あきたらずして楽まず。」。本論と離れますが、益軒の真の楽しみは、物質的なものでなく精神的なものだと言っており「楽は内にあり」と述べており、富の豊かな人よりも貧しき人が得やすいとも述べています。益軒は知足という道理を忘れないように力説しています。


 この知足は、京都の竜安寺にある蹲踞(つくばい)に認められます。この手水鉢は、水戸黄門こと徳川光圀が寄進したものと言われ、そこには「吾唯足知」(ワレ タダ タルヲ シル)と書かれています。禅の精神、「知足のものは貧しいといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧しい」を伝えています。
 知足という思想は、「老子」三十三章「足るを知るものは富む」に認められます。さらに、お釈迦さまが臨終の際の最後の説法である『仏遺教経』に「少欲知足」(欲を少なくして足ることを知る)という言葉も認めます。茶道の理念に、知足安分(ちそくあんぶん)という考えがあり、足ることを知って分を安んずる精神の必要性が唱えられています。


 この知足は、単に「あるものでがまんする」など禁欲や節約精神を言っているのではありません。私は、今のある物の中に喜びや幸福を積極的に見いだすことだと思います。人は、昔からややもすれば欲が深く、人を妬み、モノを沢山ほしがり、次第に心が貧しくなり、その結果として不幸を背負うことになるのです。モノが豊かであればあるほど、知足の心を持つことが難しくなると古から言われ続けているのです。


 最後に、私が知足という言葉に魅了された訳が述べる必要があります。精神科の医師として毎日の診療していますと、この知足という考えを持っておれば病にならなかったと思う人が多いからです。アルコール依存症は、死ぬまで飲み続ける慢性の病ですし、行為嗜癖と言われている買い物依存症、ギャンブル依存症も足る事を知らない病とも言えます。また、価値観の変動,文化的な混乱が生み出しやすいと言われる境界性人格障害は、対人関係の上で過剰なまでに見捨てられないように懸命な努力をして相手にしがみつき、うまくいかないといろいろな行動や精神症状を認めます。私は、益軒の言う「楽しみ」を積極的に見いだす知足という考えに到達できるには、内観が良いと思います。内観することにより、生かされている自分に感謝できる人間になりたいものですね。
 

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