やすら樹 NO.72

医療と内観 ―第6回―

  病気になってよかった

 みなさんは「病気になってよかった」と決して思われないでしょう。健康だけが今世紀まで生き残った普遍的価値だと言い切る人もいますし、不況の嵐の中で健康産業が活気づいているこの世の中に---。でも、そんな思いを述べる方が結構いるのです。


 私が富山市民病院でアルコール治療に従事していますが、Aさんのように「病気になってよかった」と語る人に巡り会う機会は少なくないのです。そんな時、私は医者冥利に尽きるのですが、訳は後半に述べることにします。Aさんは言葉を続けて、「先生だから話せるのだけど、他の人には負け惜しみと取られるかもしれないので滅多に言わないのだけど。つくづくアルコール依存症にならなかったら今の自分がなかったと思うんです。病気でなかったら、先生や自助グループの人達と出会う機会もなかったし、健康はただぐらいに思って、家族や断酒会やいろいろな人のお陰で生かされている自分になんて少しも気づきもしなかったでしょう。自分ひとりの力で生きているなどと公言する鼻持ちならない人間になっていたと思う。家族にも食べさせてやるのだから俺の言うとおりにするので当たり前などと、家族を奴隷にして威張り散らしていたと思いますし、家内や子供が私の仕打ちに耐えかねて心や体の病気にかかっても、役立たずな人間ぐらいにしか思わない情けない人間になっていたと思います。自分や家族が病気になったり不幸な出来事が起これば、自分ほど不幸な人間はいない、ひどい貧乏くじをひいてしまったなどと思ったり、思うようにならないのは他人のせいだと周りに当たり散らし、地獄の世界でのたうち回っていたでしょう。今の幸せは、病気になったお陰です」。


 どうしてAさんのような心境になるのでしょうか。Aさんは、断酒を始めてから十年以上になります。その間、アルコールという魔力を断つために、病院の入院治療や通院治療を行い、内観も体験し、断酒会参加も続けています。妻も自助グループに参加し内観も体験しています。ここまで書くと順調な道程に見えるでしょうが、その間に断酒を続ける苦しさ、夫婦間や両親との葛藤、最大の悩みは子供の非行問題でしたが、それらを乗り越えてきたのです。言葉には真実のこもった重みが感じられるのです。
 このように、病気と向き合うことにより自然と自分と対面でき、周囲の人によって生かされている実感や感謝の気持ちが沸き上がってきたのだと思います。ホスピスに携わっている医師からも、ガンの患者さんから病気になって良かったとよく聞かされると聞きます。インターネットで調べてみますと、ガンや難病、摂食障害などいろんな病気になった人が同じような体験をホームページ上に載せています。


 しかし、病気にならなければ人生の転回点が無い訳ではありません。内観をすることによって、吉本威信先生が「逆境の逆転」が生ずると述べておられるように、私達に訪れるでしょう。


 最後に、私は診察室で来院したアルコール依存症やその家族の方に、「病気になって良かったですね」と言うことがあります。そんな時、キョトンとした顔をされることもあります。しかし、その出会いとともに始まる治療は、きっと患者さんや家族の方が、今までの生き方や考え方を調べる中で真の自分と出会い、新しい人生を生き始めるターニングポイントになると信じているからです。その後、治療に励み、病気になって良かったと語られる時、私も幸せの一部を戴いたような気持ちになり、医者冥利の気分に浸るのです。
 

Copyright(C) 2019 Hiroaki Yoshimoto