やすら樹 NO.90

医療と内観 ―第24回―

   残雪の汚れと内観

 一夜明けると銀色の世界。すべてが雪に覆われてしまう。北陸の雪景色は生活感を除けば自然が作りあげた芸術の世界であり、雪国に住む人が堪能できる一時でもある。ところが、寒さが緩むと、我が家の小さな庭や田畑に積もっていた真っ白であった雪の上に黒や灰色の模様が浮かび上がる。それが、土に戻るまで残雪の上に濃くなっていく。例年、繰り返される光景であるが、この模様にも近頃異変を認め、汚れという模様が濃く目立ってきている。雪国に暮らす人々から出る排気ガスや生活による大気汚染が主な原因であろうか。気になる現象である。


 良く考えて見ると、似たような色が悪くなる現象を臨床場面でも遭遇する。私の診察室では、顔の色が土色に色素沈着した人に良く出会う。私がアルコ-ル専門医であるためか、大抵がアルコ-ル性肝硬変症の患者さんで、日に照らされやすい顔面や手足に認め、時に黄疸が存在することもある。それは、健康な皮膚が、飲酒を重ねることにより、肝障害が脂肪肝、アルコール性肝炎、そして肝硬変と重症化の道をたどった結果としての模様でもある。


 突然、私には汚れた模様と関連して、あの結核性脳腫瘍で若くして亡くなった中原中也の一節が口ずさまれる。


    汚れちまった悲しみに
    今日も小雪の降りかかる
    汚れちまった悲しみに
    今日も風さえ吹きすぎる


教科書で見かけることも有るためか、この「汚れっちまった悲しみに」というタイトルとその一節に共感を覚えたり、涙を流した思いでを持つ方が多い。詩の解釈は別としても、思春期や青年期には、心が汚れてしまった自分にハット出会う体験を大抵持っており、中年期や老年期はその言葉がより深みを帯びるのでは。


 汚れと関連して赤ん坊は無垢で純真な心を持っていると良く表現される。孟子は性善説を唱え、「人はみな生まれた時は清らかな心を持っているが、人が外物に誘惑されその本性が汚損・隠蔽されていく」。これと反対に人の本性は悪であるとする荀子説が性悪説です。


 さて性善説を科学的に支持することができるでしょうか。人は生まれて1~2か月時まで脳細胞の数を増加させるが、それから後はストップし、神経細胞が重量を増すのと細胞間のネットワークが増すことによって脳の重量が増加する。その増加の75%が幼児期に作られる。このネットワーク形成が新生児から幼児期にかけての心身両面での飛躍的発展の原動力である。赤ん坊の無垢というのは、脳が十分に機能ができずに外からの刺激に対して単純な反応しかできない結果という見方もできる。また、自分の小さい頃を振り返ってみると、野山でトンボや魚釣りに興じたが、大人になって考えてみると動物虐待であったりして恥ずかしい思いもするし、子供同士の遊びの中でいじめもしていたと思う。ただ、その意味を十分に知らないでやってきたのも事実。どうも、単純に性善説や性悪説のエビデンスを示すことは難しそうである。


 ただ、理屈や根拠はどうであろうと、人が年を経るにつれて、「汚れっちまった悲しみに」という感覚は生暖かい感触です。特に、現代社会に生きる日本人は競争社会の中で、汚れて消えていく残雪に気づく余裕もない。そんな中で、自分を知る内観を行うことにより、私達に心のオアシスを与えてくれるものと確信しているのです。それでこそ、白銀の世界を彩った雪が自然に帰れるのと、人は同じようになれると思うのですが。